A Dangerous Method
という作品で,監督は,巨匠 デヴィッド・クローネンバーグ。
この映画は,wikiによれば,
第一次世界大戦前夜。駆け出しの精神科医カール・ユングとその恩師ジークムント・フロイト、そしてザビーナ・シュピールラインの3人を渦巻くドラマを描く。
というものなんだそうで,日本では公開されるのかよくわかりません。いま,アメリカで公開中とかなんとか。英独合作になっているみたいです。
原作は,John Kerrによる,
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というのだそうです。
というか,まったくの無知っぷりをさらすようですが,Who is ザビーナ・シュピールライン?って感じなのですが,
これまた,Wikiによれば,
ロストフの裕福なユダヤ人の家庭に生まれ育つ。父ニコライは商人、母エヴァは当時のロシアでは珍しい大学卒(歯学部)の女性だった。
ロストフの女子ギムナジウムを経て、1904年8月17日、統合失調症患者としてチューリヒ近郊のブルクヘルツリ精神病院に入院し、ここで医師として働いていたユングと知り合い、恋に落ちる。1905年6月1日に退院した後、チューリヒ大学医学部に入学し、1911年、統合失調症に関する論文を提出して医学部を卒業するまでユングとの関係は続いた。ユングは彼女が学位論文を書くにあたっての助言者だったが、同時に彼自身もザビーナから学問的に多大な影響を受けた。しかし既婚者のユングが、彼の子を産みたいというザビーナの希望を撥ねつけたため、二人の愛は破局を迎えた。同じ1911年、ウィーンでフロイトと会い、ウィーン精神分析学協会に参加。ユングとの恋愛体験に基づく論文『生成の原因としての破壊』は、フロイトのタナトス概念に影響を与えた。
1912年、ロシア系ユダヤ人医師パヴェル・ナウモーヴィチ・シェフテルと結婚し、ベルリンで暮らした。第一次世界大戦中はスイスで暮らしたが、1923年、ソヴィエト政権下のロシアに帰国し、ロシア精神分析学協会に参加すると共に、モスクワにて幼稚園を設立。なるべく早い時期から子供たちを自由人として育てることを旨とした幼稚園であり、スターリンが息子ヴァシリーを偽名で入園させたこともあったが、3年後、幼児たちへの性的虐待という冤罪をかけられたため、閉鎖を余儀なくされた。背後には、精神分析学に対するスターリン政権からの弾圧があった。
1936年、大粛清の最中に夫が病死し、ザビーナと娘たちは1942年に故郷ロストフにて、侵攻したナチの手で殺害された。
2002年、『私の名はザビーナ・シュピールライン』と題するドキュメンタリーがスウェーデンの映画監督エリザベト・マルトンによって作られ、2005年には米国でも封切られた。近年、精神分析学に対する彼女の貢献に関して再評価が進みつつある。
すごい人生。。。
こんな本もあるようですよ。
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そのうち,John Kerrの本も訳出されるのでありましょうか。。。(みすずさんの本が種本のような肝)
日本での公開は不明ながら,縁遠い遠見書房主の耳にも入ったということは,「近づいている」のかもしれません。
日本の精神科医(たとえば,森田正馬とか)も映画になるといいですね。いや,やはり,NHKの朝の連ドラで神谷美恵子なんかどうか。設定がセレブすぎるか。原作は,帚木蓬生先生で。って,妄想かましてますが。
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