遠見書房のメルマガ

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2011年6月30日木曜日

格差への学校臨床

こんにちは 遠見書房主でございます。

6月も今日が末。九州方面は梅雨明けだそうで,関東はなんだか梅雨明け間近という感じの驟雨ありという陽気でございます。おっ,雷。。。

唐突ですが,貧困問題,なんら打開策を打っていない気がします(児童手当とかよくわからんものになってしまっているし)。

「そだちの科学」でも取り上げられました。

そだちの科学 16そだちの科学 16
滝川一廣

日本評論社 2011-04-11
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反響はどうだったのか,よくわかりませんが,広告掲載いたしましたので,見本誌読んだところでは,これはやはり重要な問題だな,と。
震災は,格差を広げてしまうのでしょうか。弱いものは災害時にはもっと弱くなってしまう,というのはやはり自明です。哀しいことに。

学校内でも地域差,格差がやはりあるという話を聞きますが,こんな講演会があるんだそうですよ。

講演会「格差防止に寄与する全校型支援の実際」

http://ocha-gaps-gcoe.com/modules/news/index.php?page=article&storyid=214

2011年7月30日(土) 
 第1部 13:30~15:30(茗渓会館)
 第2部 16:00~18:00(お茶の水女子大学本館125教室)

【講演者】 
Carol Dahir 博士(ニューヨーク工科大学准教授)

【コーディネーター】
伊藤 亜矢子(お茶の水女子大学准教授)

【通訳】
熊谷 珠美(首都大学東京非常勤講師) 

【使用言語】 
英語・日本語(通訳あり)

===

この場合の格差は,いわゆる「落ちこぼれ」のニュアンスが強いかもしれませんが,これもやはり「格差」であることは間違いありません。社会学的には,この格差と貧困の格差は,相関関係にあるでしょうし。
学校臨床の一領域ではありますが,ぜひぜひ,ご興味のある方はどうぞ。

なんと,参加費は無料です!

 

2011年6月23日木曜日

【新刊】ささっと「サート」の本

 
「サート」の本,出ましたっす!

と聞いて,「ほほー,大野博之先生の本ね」と思った方は,かなりの通か,あるいは九州の方かと思われます。もしくは,動作法界隈の方という可能性も。

これだす。



書誌データ,はりつけますと,

『心理療法のためのリラクセイション入門』
──主動型リラクセイション療法《サート》への招待

大野博之(福岡女学院大学教授,九州大学名誉教授)著

定価2,520円(税込)、210頁、四六版、並製
C3011 ISBN978-4-904536-22-3


そう,「サート」というのは,リラクセイション法なんですね。
九州大学名誉教授,福岡女学院大学で教鞭をとられている大野博之先生の開発した,リラクセイション法であります。
当然,この本には,大野先生の師匠であり,臨床心理士登録No.1の,成瀬悟策先生の「推薦の辞」ものっております。
大野先生,成瀬先生の九州一番弟子 なんですね。当然,動作法の発展にも大きく寄与されてきた方。当然,催眠なんかにも詳しく,そのあたりの知見が結実したものが,この「サート」。新しい心理リラクセイションといっていいでしょう。

リラクセイション技法はさまざまにありますね。リラクセイションは,心理療法におけるアスピリンと言われることもあるくらいでして,動作法界隈の方だけでなく,多くの心理臨床に携わる方が,使用しているテクニックでしょう。精神分析のひとでも,時と場合によってば,使ったりすることもあったりするようです。

で,この本ですが,「サート」の課題動作,そのすべてにイラストついています。ぱらぱらマンガといっていいでしょうか,数が多くて,動きがとてもわかりやすい。実際の写真から起こしたものなので,理解もしやすい。

深呼吸をつかうヤツとか,緊張して弛緩させるヤツとか,その手のリラクセイションに比べれば,さすがに動作法からの流れだけあって,目の前のソファに座りながらやれるというものではありませんが(そういう課題動作も用意されていますが),それなりに工夫すれば,だれでもできますし,心身症や言葉でのセラピーが難しいものなどは,かなり利用できそうです。グループでやったりとかも面白そうと思います。

こういう本,作る時,校正刷を読みつつ,自分で体を動かしてみるのですが……これが,けっこう,いいんですわ。
オススメです。

本書の詳しい内容などは,小社のホームページをごらんくださいませ。

http://tomishobo.com/catalog/ca22.html

 

2011年6月16日木曜日

オルタナティヴ・ストーリーを語れ

 
いま,「仮題」としか題名が付されていない本を作っている。一昨年~昨年に行った高橋規子先生と八巻秀先生のワークショップをもとにした本の校正刷を読んでいるのであるが,まあ,はっきり言って面白い。もちろん,宣伝を狙った出版社のブログであるからして,「面白くない」なんて言わないけれど,この本はすごい。さまざまに分派しているナラティヴ・アプローチについて,しかも,その実践について,詳しく語ったものは,ほかにないだろうと思う。そして新しく提示されるアイデアの数々。タカハシ先生,すげえよ。ほんと,すごい。

で,オルタナティヴ・ストーリーである。さまざまな実践のあるなかで,ナラティヴ・アプローチのホワイトの考えは,革新的である。キーワード先行型のところもあるので,テクニカルな意味に消化されてしまっている現実もあるが,ホワイトの革新的なすごさに「オルタナティヴ・ストーリー」と「ドミナント・ストーリー」というのがある。オルタナティヴというのは,「もう一つの」とかいう意味であり,「ドミナント」はなかなかいい訳はないが,「支配的な」くらいな意味だろうか。で,クライエントは,このドミナントなるストーリーを生きているというのである。たとえば,クライエントが離婚したいと思っても,まわりが「離婚したら生活できない」「旦那の浮気くらいは目をつぶれ」だのという「ドミナント・ストーリー」を展開して,クライエントの「オルタナティヴ・ストーリー」が育つのを防ぐ。なので,ホワイトは,「もう一つの」オルタナティヴなストーリーを提供しようと画策するわけであるが,まあ,詳しくは,ホワイトの本なり,今度でる(いまだ仮題の)「タカハシヤマキ本」を読んでほしいのであるが。

で,とても不思議なのだ。どうして,為政者は,「オルタナティヴ・ストーリー」を語らないのだろうか? あまり政治的な発言はしたくはないのだが,なんかあまりにも不思議なので書いてしまう。
原発に各国でNOと発言が出ており,国内でもデモが行われている。ケーサツ発表よりも多くの人が,デモに参加している。でも,政治家の発言をみると,原発については(一部に真摯に取り組んでいる人たちもいるが),態度保留というよりも,推進気味な方が多いような印象を受ける。「原発がないと電気が」などと言う。「コストが安いから」などとも言う。コストって,原発のある自治体への税金投入まで入れてなお,コスト安いのだろうか? 今回の補償額や実被害や風評被害まで積算しているのだろうか? もう起きないって言えないだろう? 福島もひどい状況であるが,もんじゅの状況も悲劇的だ(もんじゅはひどい。福井のひとは匕首を喉に突きつけられている状況である)。このあたりのコストも計算してくれているのだろうか? 入れていないとしたら暢気だ。原発再開を諦めた,いろいろと問題行動の多いイタリアの首相よりも暢気って,どういうことよ? ふつう,いくら暢気だって,原発は段階的に廃炉ね,くらいなところに落ち着きそうなものだ。でも,フクシマを抱えるこの国の政治家の先生は,ドミナント・ストーリーに拘泥する。
で,そもそも思うのだが,「ドミナント・ストーリー」しか語らないのは,もうやめにしないかということである。何も原発だけではない。この状況下において,「ドミナント・ストーリー」しか語らないのは,政治家としてどうなのだろう? 何かしたいことがあって政治家をやっていると思うのだが(そう思いたいのだが),なら,ふつう,「もう一つのストーリー」を語るものじゃないだろうか。いや,これは硬直化している私たちにとっての問題だろう。「オルタナティヴ」を語れ。語ろう。語ることにしか明日はこない。よく眺めれば,希望はまだある。