遠見書房のメルマガ

遠見書房のメルマガ
月1くらいの謙虚なメルマガです。上のバーナーをぽちっと押すと、説明ページに飛びます

2009年12月22日火曜日

Nって何だ?

 
「N:ナラティヴとケア」という雑誌を来年1月に創刊いたします!

N!

と覚えてください。
イメージは,こんな感じ↓



もちろん、ナラティヴの、です。雑誌の命名は、精神科医にして碩学・江口重幸先生の発案でございます。先生、ありがとうございます。本誌の創刊の辞も書いていただきました。

内容見本もありますので,ぜひ,小社HPをご覧くださいませ。


内容ですが、詳細は、小社のHPをごらんいただくとして、ブログではブログらしく、扇情的なことを述べましょう。

ナラティヴというと、ナラティヴ・セラピーやナラティヴ・ベイスト・メディスンなどを連想される方が多かろうと思います。一つの時代のタームとなっていますが、ナラティヴそのものは、コミュニケーションという用語のように、もっと広がりのある概念であり、現象でしょう。もっと,長く使われる用語だと思います。
たとえば、精神分析のひとと、認知行動療法のひとが論争ができるのも、当たり前ですが、そこに「事例」があるからでしょう。あらゆる心理療法のバックボーンには、事例、すなわち、ひとがいます。もっと言えば、ひと(クライエントとされる人)と、ひと(セラピストとされる人)との、ある種の目的を持った(多くは「治療」「回復」「自己探索」でしょうか)かかわり、があります。そのかかわりは、すでに「ナラティヴ」が当然発生しています。なぜ、その場所にきたのか。それだけですでに長大なナラティヴが発生するでしょう。当然、治療者は、そのナラティヴを受け止めます。
つまり、セラピー──もっと言ってしまえば、ひととひとがかかわるところには、ナラティヴがあるわけです。かかわりがなくても発生するかもしれませんが、あるほうがより発生するかと思います。
ともあれ、この「ナラティヴ」という概念は、心理臨床だけではなく,多くの対人関係が生じる臨床や研究においての普遍的で、基礎的なものとなっています。

ナラティヴ・セラピーの背景には社会構成主義があり、ここにおいては治療者と被治療者の位置づけは、常に同じになります。治療者は専門家であるとき、患者も自身の専門家であるわけですね。
この考え方を研究に広げると、「質的研究」というテーマにつながります。
がんの治療においては、「インフォームドコンセント」のあり方がナラティヴにつながり、また、医療事故においても「ナラティヴ」を大事にする声があります。終末医療や慢性疾患を専門とする医療者においては、「セラピューテック」なかかわりが求められていますし、それは「ナラティヴ」を大事にすることでもあるでしょう。
今日ほど、治療の自主性がユーザー自身に求められている時代はありません。いい意味で、ユーザーと治療者が責任を分担することが、医療経済的にも、お互いの精神衛生のためにもよいことだろうと思います。ここに役立つものも「ナラティヴ」でしょう。
本誌においては、そうした臨床における「ナラティヴ」にかかわるものを拾い上げていきたい。そう考えています。

また、ナラティヴは、臨床世界のものだけではありません。人類学から始まったナラティヴは、社会学や現代思想、心理学、医学、福祉学、看護学などなど、多くの学問領域に広がり、共通言語を提示してきました。裁判員制度においては,「ナラティヴ」の重要性がすでに認識されており,勉強会が始まっていると聞きます。ナラティヴは多くの学際領域を架橋している概念となっています。
ここについても、細かく拾っていき、より学問間の垣根が低くなり、新しい「知」が生まれることを願っています。

ぜひ、ご興味のある方は、本誌をご購読くださいませ。予約、絶賛受付中です。
ご興味のない方は……興味をもっていただけますと、きっとダイナミックな人生が広がりますよ。

N! と覚えてくださいませ。

 

0 件のコメント: