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2009年6月24日水曜日

F氏の本

 
F氏から激励のお電話をいただいたのは、ついこないだのことである。
F氏は精神科医である。以前、編集モノのある本(未刊)において、原稿の依頼を行ったことがある。とはいえ、それは手紙とメールとのやりとりくらいであり、お会いしたことはない。お電話をいただいたことも一度くらいはあったかもしれないが、思い出せない。
ともあれ、F氏は私に連絡をくれ、「頑張ってくれ」とエンパワメントしてくださった。初めてご連絡をいただいたので、私のほうはしどろもどろだったのだが。
遠見書房から刊行された『専門家のための「本を書こう!」入門』について、「一年前ならば、本を出す前だったので、読みたかったかもしれない」とおっしゃっていた。
F氏は、「その本、読みました?」といわれるので、「いや、まだです……」と答えると、「じゃ、送りますよ!」と言うのである。

こういうとき、とても困る。小心な私は、「お返しどうしたらいいのだろう」とか、妙にそわそわ考えてしまうのである。といって、断るのもおかしい。「そんな本、読みたくない」と言っているみたいに聞こえてしまうかもしれない。編集者としての態度としてもおかしい。そもそも本は好きだし、どんな本か興味もある。といって、売値のついているものをただでもらうというのも悪い気がする。じゃあ、買うか、と言われると、悩んでしまうし。などと逡巡してしまうのである。

数日後、F氏から本が届いた。

認知症の医療とケア―「もの忘れクリニック」「もの忘れカフェ」の挑戦認知症の医療とケア―「もの忘れクリニック」「もの忘れカフェ」の挑戦
藤本 直規

クリエイツかもがわ 2008-10-31
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本をいただくとぱらぱらと読む。略歴などを読み、カバーなどを外してみる。へえ、こういう紙使っているんだ、面白いなどと一人ごちるためである。そうやっていつもと同様にパラパラとめくってみると、とても品のよいレイアウトであった。
帯のような、カバーのような装丁だが、これも洒落ている。レイアウトされた内容もよい。値段も安めであり、ふつうに売れそうである。帯についている推薦の句は認知症、高齢者精神医学の大家、室伏君士先生である。もう90歳くらいではなかろうか。昔、10年以上前に室伏先生の本にセカンドエディター(要するに雑用)として加わったことがある。お元気ということがわかり、それも嬉しかったりする。

痴呆老人への対応と介護痴呆老人への対応と介護
室伏 君士

金剛出版 1998-09-15
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さて、F氏の本であるが、「認知症のかもがわ」の本なので、変な本であるということはまずない。版元の力は大きい。タイトルは硬めだが、中は読みやすい。この本は、F氏のつくった藤本クリニックでの、物忘れ外来、地域医療、デイサービスなどの活動をまとめたものである。ピアカウンセリングや「物忘れカフェ」という活動も行っていて、活動もとても面白そうだ。

はっきり言って、この本は役に立つ。実務家が書いた、実務家のためのいい本である。F氏は、視点の広い方だな、ということがわかる。精神科や高齢者医療の医師としての目線だけでなく、介護職や作業療法士、MSW、心理職などのコメディカル・スタッフの目線でもとらえ、高齢者たちを支えている。ここまでの幅広い活動ができるのは、チーム医療のツボをご存知だからだろう。

類書はこんなのか?

「ラッコ先生」と呼ばれて―私が実現した病児保育所から老後のケア・ハウスまで (Hot‐nonfiction―Yuhisha woman president series)「ラッコ先生」と呼ばれて―私が実現した病児保育所から老後のケア・ハウスまで (Hot‐nonfiction―Yuhisha woman president series)
酒井 律子

悠飛社 2004-03
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ちょっと違うか……。


それにしても、私は認知症関係の本を読んでいるとしみじみとしてしまう。F氏の本の内容は基本的に明るいのだが、私は20年前に死んだ祖父をダークに思い出してしまうのだ。祖父はアルツハイマー性の認知症であった。認知症の事例を読むと祖父のことを思い出す。祖父は10年ほど家庭で介護され、そのあいだにだんだんと認知症が進み、家にいた最後の半年くらいは悪夢のようであった。まだ75歳であった。いま75歳くらいの先生方とお付き合いしているが、祖父と同い年とはとても思えない。祖父は徘徊をするようになり、身の回りの世話もできずオムツをあてがわるようになり、手におえなくなり、家族はウツになり、老人病院に入れられ、あっという間に寝たきり老人となり、ガリガリにやせて、死ぬ間際にはだれのこともわからず、肺炎をこじらせて死んだ。そんなことが走馬灯のようによみがえる。
いま生きていたら、もっといろいろなサービスがあったのになあ、と思う。物忘れカフェ、いいじゃないですか。祖父は小さな店の店主であったから(かなり痴呆が進んでも計算能力だけは温存していた)、レジ係くらいできたかもしれない。

ともあれ、この本はとてもいい本です。
「真似」もできそうなほど、具体的にいろいろと書いてくれています。

なお、F氏が本と一緒に同封してくれた手紙にはこうあった。
F氏は小社のブログをときどきみてくれているようで、ペーパーの隅っこに谷川俊太郎の記事(注)について、「面白い」とおっしゃっていた。
そして、ペーパーの隅っこにこうあったのだ。

私は平成元年のH氏賞の受賞者です。


ぬわんと!――知っている人は知っているであろう、H氏賞とは、詩の世界の、芥川賞というか、直木賞というか、そういう高名な賞である。

私の青春と詩について、うだうだと書きたい欲望にかられるが、どうでもいい話なのでやめておきますが、藤本直規先生のことをF氏などとしたのは、ただ、H氏賞受賞者ということに感銘をうけたからだけのことであります。

とはいえ、この本の文章には、詩的なところはあまりありません。硬質ですが、わかりやすい文章です。本物の詩人はこうなのかもしれませんね。

 

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