遠見書房のメルマガ

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2009年2月17日火曜日

わたしの1時間はいくらか

 
1時間いくらか?ということが重要だったのは、学生時代のアルバイトである。さして多くのバイトをしたわけではないが、たいていのアルバイトは1時間いくらか、ということになっていた。なかには一日八千円などという日給計算のバイトもあったが、それでも時給換算をして、「となると、時給九百円か、まあまあだな」などと考えたりする。
このクセは、学生時代がはるか遠くになった現在でも続いている。
しかし、被雇用者だった時分は、1時間=いくらという概算が成り立ちやすかった。月給を労働時間で割ればいいのである。ありがたくもそこそこのお給金をいただいていたので、時給換算にすると結構な額にはなったが、そうすると、反面、「こんなことをしていて給金をもらってよいのだろうか」というような労働1時間があったりする。
たとえば、封筒詰めの作業などというものをやっていた。広告を集めるのに、ダイレクトメールを打つのである。150部かそこらなのだが、手紙を印刷し、コピーをして、封筒の大きさに折って、封筒詰めをして……などとやっていると、1人だったら軽く2時間半はかかる。高い郵送代だ。
アルバイトの子などがいれば手伝ってもらったり、なるべく時給の安そうな(?)若い同僚に手伝ってもらったりしたのだが、それにしても、安い郵送代ではない。
業者に頼めば、きっと安く済むのだろうけれども、150部程度だったら、頼む手間を考えれば、こちらでやった方が面倒はない。向こうだってそんな半端仕事、嫌がるだろう。
まあ、とにかく、1時間いくらか、ということは、長らく僕の労働基準になっていた。

しかし、雇用者として自らをこき使っている立場になると、どうも、塩梅が違う。

たとえば、昨日、僕は取次店に本の納品に出かけた。ありがたくも順調に売れている証左なのか、追加注文があったのである。で、本を何十冊と持っていったのだが、府中から市ヶ谷にある取次店「地方小」までは遠い。天気もよかったので、バイクで行ったのだが(まあ、バイクに載るくらいの量だったのだけれど)、往復で軽く2時間はかかる。
かかる経費としては、

主の時給×2時間+α
ガソリン代(往復)

である。
府中から市ヶ谷までは30キロくらいだろうか。バイクは燃費がリッター20くらいなので、往復で3リットル。330円くらいか。
事故に遭ってしまうことだってあるので、まったくのノーリスクではない。保険料もかかっている。

もし、宅急便に頼んだら、まあ、1000円~1500円くらいで済むことだろうと思う。これだって不着はあるだろうが、ほとんどゼロだ。リスクはさほどないと言えるし、中の商品が無茶苦茶になっていたりしたら、保険が効く。
遠見書房主の時給だって、まあ、1000円よりは高かろうから、時給換算的には赤字である。

でも、僕は結局、自ら行くことにした。ヒマだったこともある。土日もなんかだらだらと仕事をしているところがあるので(一日働いているわけじゃないけれど)、月曜日だからといって忙しいとか、そういうことはあまりなくなっているというのも理由としてはある。でも、最大の理由は、僕がすでに時給で働いているわけではない、ということである。
ガソリン代300円を差し引いて、僕は700~1200円は得したのである。
僕はすでに時間を割いて給金をもらっているわけではない。当たり前だが、たとえば事務所に2時間いても、だれもお金はくれない。2時間バイクに乗って市ヶ谷を往復する方が利益にはなる。その2時間、もっと実入りのある仕事をすれば別だが、その実入りのある仕事をするのは、別に、市ヶ谷から帰ってからの2時間だって構わない。そうすれば、二重に所得になる(はずだ)。

編集という作業は、どうもうまく定義しにくい。きた原稿を本にするまでの間ケアをする、という作業であるが、正直、著者がまったく完璧であれば、必要のない職種である。それでも存在しているところを見ると、霊界と俗世を通ずるイタコとかユタとか巫女のようなものなのかもしれない。なんて、カッコウ良すぎますね。遣り手婆というべきかもしれません。
ともかく、その作業自体には、一冊ごとにさして違いがあるわけではない。もちろんいろいろと大変な方もおられるし、まったく手間もかからないような方もおられる。量によっても、求められる質によっても違う。でもやることは、読んで、赤字を入れて、直しを確認する、というような作業である。
しかし、できてしまえば、売れ行きが作業の合理性をとても左右することにもなる。同じような時間をかけた本が2万部売れるのと、200部しか売れないのとでは、合理性がまったく違ってくる。こういうのを対費用効果というのだろうか。よくわからないけれど、1冊あたりにかかった人件費が、よく売れる本ではほとんどゼロになり、まったく売れない本では多くの割合になる。とはいえ、売れない本だからといって、途中で値を下げたり、あるいは経費がかかったのだと値を上げたり、ということはしにくい。
反対に売れる本は、寝ている間にも売れる。市ヶ谷までバイクで行っている間にも売れてしまう。出版業は、面白いなあ、とつくづく思う。しかし、売れなかったら、これまた泣くなあ、とも思う。時間が売れる時代が懐かしくさえある。


開業をされている心理療法家の人と話していて、1ケース1万円だとして、週5日、8時間(8ケース)働いたら、年収2000万円じゃないか、というような話になった。実際、そんな人がいるのかは知らない(いや、知っているけど)。可能性としての話である。年齢制限がないことを考えれば、とても高給取りである。時間を売る系の仕事としては、最良の部類の仕事の一つであろう。もちろん、うまく行けばだが。
一方、出版社は10万部の本が出てしまったら、仮にそれが1500円だとして、1.5億円である。もちろん、これは遥かなる夢であり、10万部を超える本になるものは、何万という本の商品点数のうち、ほんの一握りである。宣伝費も多くかかるだろうし、印刷諸経費だってかかる。印税もある。となると、残るのは3分の1くらいだろうか。10万部も本を動かすことを考えるととてもひとりではできないので、人件費もかかるだろう。それに税金がかかって……。というと、残るのは。。。。

働くとは何だろう?
その対価である金とは何なんだろう。


そんなことを思っていたら、ふと、ちょっと前にカーラジオで聞いた放送大学の授業を思い出した(私は、車内でときどき放送大学を途中から聞き、「これは何の授業だろう」と悩むのが好きなのであります)。
それは労働組合史の授業だったのか、最低賃金というものがどういうふうに生み出されたかという話をしていた。それによると、最低賃金というのは、当時の組合が、最低限の文化的な生活を送るに足る金を積算して作ったものなんだそうですね。いまも使われている積算方法は戦後まもなくに出来たもので、反対にいえば、それまでは最低限の生活を送ることも困難な労働環境もあったのだろう。
時給換算の根本は、ここからきている。月の賃金を一日で割り、それを時間で割ったものが、時給の基礎となるものになるのであろう。ともかくも、最低限の生活が送れること、というのが基本である。


で、「派遣村」で有名になった湯浅誠さんの本を現在読んでいるのだが、

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
湯浅 誠

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これを読んでいると、惨憺たる気持ちになってくる。

確かに、時給換算や最低賃金などはまだ守られているのだが、最低限の賃金を払った後、かなり高い寮費だの、なんだの、とそこから企業がついばんでいくのである。超がつくような田舎町なのに、2Kくらいでで7万とか取るなんて、とんでもない悪行だ。正直、たちが悪い。胸糞も悪い。その辺りのついばみ方が、とてもひどい。月給20万で、手取り15万で、それでなんか経費とかいろいろと抜かれて、残らない月がある、なんていうんだもの……。


働くとは何だろう?ということを考えさせられてしまう。
社会の仕組みが、ちょっとおかしくなっているという気がする。

この本は、とても面白いので、オススメです。たぶん、心理臨床でよく言う生活のとは、ちょっと違うのですが、ここに目を背けたいほどリアルな現在の生活が描かれています。

 

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